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【一番の勝者は誰だ】
trrrrr…trrrr…
越前家の電話が鳴るのは珍しい。
大抵が桜乃の持っている携帯電話にかかってくるものなのだが。
「はい、越前です」
夕食の後片付けで食器洗い乾燥機に食器を入れ終えた桜乃は、そのまま電話の受話器をとった。
「あら、こんばんは」
明るい声に、弟と一緒に居間のテレビでゲームをしていた一真は、なんだ知り合いか、と単純な感想をもった。
「元気にしてる?最近、遊びに来てくれないのね」
一体誰と話をしているのだろう。
「そうねぇ、もうあまり暇がないわよね。いろいろと大変でしょう?」
それでも母の楽しそうな会話は続いている。
「でも、もうすぐ夏休みだから、またお母さんも一緒にお出かけしましょうね。おばさんも綾乃も楽しみにしてるから」
おばさん?綾乃?
ちょっと待て。
一真はコントローラーを放り出して立ち上がった。夕真の「お兄ちゃんの番!」と言っている声も無視する。
「母さん!」
母が電話で話している相手に見当がついて、一真は真っ赤になって怒鳴る。
「何のん気に話し込んでるんだよ!ハルカなんだろ!?」
「あら、お兄ちゃんが怒ってるから代わるわね。はい、カズくん」
桜乃はにっこり笑って受話器を差し出すのだが、一真は保留ボタンを押す。
「部屋でとる!」
ドスドスドスと足音をたてて階段をあがっていく音に、桜乃は「怒っちゃったわね」と肩をすくめる。
「お兄ちゃんの番なのに~」
夕真が眉を寄せて頬を膨らませる。
「あら、それじゃお兄ちゃんは試合放棄したんだから、ユウくんの不戦勝になっちゃうわね」
「フセンショウって?」
「試合もせずに勝っちゃうってことよ」
さあ、もう片付けてしまいなさい。ユウくんは寝る時間でしょ。と桜乃は末っ子を追い立てる。
「何、さっきのは一真?」
リョーマがパジャマ姿で頭を拭きながら脱衣所から出てくる。
「ええ、ハルカちゃんから電話がかかってきて…」
「ふーん?」
その名前は息子と親しくしている幼なじみの女の子の名前だということくらいは、リョーマも知っている。
リョーマ自身はめったに顔を合わさないが、桜乃はかの女の子の母親とは親友でもあるし、綾乃も親しくしているので以前はしょっちゅう家に遊びにきていた。
「ちょっと話をしていたら、カズくんに怒られちゃったのよ」
「へぇ、カズもそんなこと気にするような年になったの」
「カズくんも年頃なのねぇ」
「桜乃、世話焼きおばさんみたいなセリフ言ってどうすんの。自分の息子のことだろ」
「自分の息子だからだよ」
桜乃は嬉しそうに笑う。
母親ならば息子に彼女ができたら、少しは寂しがると思ったのだが、どうやら桜乃は違うらしい。
そういえば、自分の母親もそうだったかとリョーマは思い返す。
実の息子よりも桜乃のほうを可愛がっていたような気がするのだ。
そこへ早々に電話を終えたのか一真がリビングに入ってくる。
「あら、もうハルカちゃんとの話は終わったの?」
一真は桜乃の問いかけに微かに頬を赤くしたが、リョーマの向かい側のソファに腰をおろす。
「親父、携帯買ってよ」
「ダメ」
「なんで」
「なんでも」
「カズくん、お父さんがダメって言ったらダメよ」
桜乃は先ほどの電話のことが原因だろうなと察しはついた。
「さっきのことはお母さんが悪いとは思うけど、ハルカちゃんだって、ちゃんとお家の電話からかけてきてるでしょう?カズくんだって、他には電話かけたりする用事がないんだからいいじゃない」
「わかって…るけど…なんか、恥ずかしいじゃん」
自分でも自覚はあるのだろう、一真はふて腐れたように言った。
桜乃はきょとんと目を開いた。
「お母さんは恥ずかしくないけど?」
「そりゃ母さんはそうかもしれないけど」
「普段はパソコンでメールやってるんだろ?」
リョーマは一真に尋ねた。
中学に入学したときにパソコンを買ってやったので、日中は学校で顔をあわせる友人たちとはメールでやりとりしていることを知っている。
「そう…だけど、その、なんとなく…」
買って欲しいという理由が両親を納得させられるものではないと気づいた一真は立ち上がる。
「わかったよ。もういいよ。オレも、別にどうしてもいるってものでもないから」
「一真」
「何」
一真はソファに座るリョーマを見る。
「高校生になったら買ってやる。おまえは遠征に出ることも多くなるだろうから、どうしても必要になるだろうし、そのほうがオレたちも安心だからな。だけど、中学生のうちはダメだ。わかったな」
「うん、わかった」
「それじゃ、お風呂に入って寝なさい。明日は朝練があるんでしょ?」
「うん」
階段を上がったり降りたりして、一真が風呂に入ってしまってから桜乃は苦笑して夫を見上げる。
「聞き分けがいいのは助かるけど…」
「ん?」
「まだまだ、いろんな意味で子どもでいて欲しいと思うのは贅沢なのかな」
「でも、あんなことを言うってのは、オレよりは甲斐性あるんじゃない?」
リョーマはクスリと笑って妻と目を合わせる。
「ふふふ、そうかもね」
桜乃は自分たちが一真ぐらいの年齢のころを思い出す。
そしてゆっくりと立ち上がると台所に向かう。
「お茶でも入れようか?」
「お茶だと眠れなくなりそうだから、水割りにしてくんない?」
「ダメ」
「なんで」
「なんでも」
先ほどの父子のようなやり取りをすると、桜乃は冷蔵庫からオレンジジュースを取り出して夫の前にグラスを置いた。
「これで我慢して」
「…………はい」
「聞き分けのいい旦那さまで助かります」
桜乃は勝利の笑みを浮かべた。
《完》