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【ミスマリア】
大学近くにあるスーパーの中の、ちょっとした喫茶コーナーでオレはバイトをしている。
席は二十席しかないけれど、ベーカリーコーナーが併設されていて、パンやサンドウィッチを購入した客がちょっとした休憩をとれるようになっているんだ。
コーヒーや、紅茶なんてものもメニューにはあるけど、ここの売りはフルーツミックスジュースだ。これが人気で、客の足は絶えない。
だからというわけでもないだろうけど、時給もいいからオレはずっとこのバイトを続けている。
そして最近、新しい客が増えた。
いや、客なんて毎日やってくるんだけど、よく見かけるようになったというほうがいいのかもしれない。
オレと同い年くらい、もしくは少し年上の綺麗というよりは可愛らしいイメージの強い女性だった。
もしかすると一目ぼれに近いものだったのかもしれないけど、彼女が来るたびに彼女の行動を気にするようになってしまった。
喫茶コーナー自体が出入り口に近い場所にあるから彼女がやってくるのもすぐにわかる。
毎日というわけじゃないけど、スーパーにくる時間は午後四時から五時くらい。オレはよほどのことがないかぎり、その時間帯には必ずバイトに入るようにしていた。
言っておくけど、ストーカー行為なんてしてないからな。
だってそんなこと考える前に、彼女が既婚者だってわかってしまったんだ。
え、なんでそんなことわかったんだって?
そりゃわかるさ。
彼女の左薬指にはしっかりとマリッジリングがはめられてたし、少しずつ膨らんでいくお腹を見れば、妊娠中なんだってわかるだろ。
そこでオレの恋にもならない気持ちはストップした。
今は憧れのほうが強いのかもしれない。
それでもオレは彼女のことが気になって、時々彼女を見ていたんだ。
たまにこの喫茶コーナーでミックスジュースを飲んで帰ることもあったから。
でも、ちょっとだけ気になることがあったんだよな。
彼女、既婚者のはずなのに、あまり多く買い物をしないんだ。
オレもこんなところで長いことバイトしてるからわかる。
彼女の買い物の量は一人暮らししている人が買う量に近い。
たまに多めに買ってることもあるけど、それはまとめ買いしているように見えるんだよな。
どうみてもダンナがいるようには見えない。男って結構食うもんな。
だから、もしかすると一人なのかなって思うことがあったんだ。
そんなある寒い日のことだった。
今日スーパーにやってきた彼女には連れがいた。
友達なんだろう。
かなりの美人で、類は友を呼ぶってこういうことなのかなって思うくらいだ。
「桜乃、本当に一人で平気なの?」
「やだな、朋ちゃんてば心配性なんだから。平気だよ。今までだってそうだったんだもん」
「だって、それは一日二日程度でしょう?」
「大丈夫だってば、うちも、越前の家もすぐ近くだし、お母さんがたまに来てくれるから」
心配そうな友人に対して、彼女はにこにこと笑っていた。
「それにこの子が生まれたら、もっと大変になるんだもん。あの人がいないことにも慣れなくちゃ」
「『あの人』かぁ…いいなぁ、なんだか奥さんって感じ」
「やだ、朋ちゃん。私、奥さんだよ?」
「あ、そうか」
周囲をはばかって小さく笑いあう二人だったけど、オレは別のことに衝撃を受けていた。
それは彼女の言う『あの人』がたぶん旦那さんを指すんだろうってことではなく、『あの人』がいないってことだった。
いないってどういうことだ?
彼女はバツイチ…もしくは死別?
いろいろと考え込んでいた間に彼女たちはすでに店の外に出ていた。
その彼女たちが座っていた席にあった買い物袋にに気づいたオレは、慌てて後を追いかけた。
これは彼女と話が出来るチャンスだと思ったんだ。
「お客さま!」
「…え?」
彼女たち二人は同時に振り返った。
「あ、あの、忘れ物、です」
「あっ」
どうやらそれは彼女の忘れ物だったようだ。
「やだ、私ったら、肝心の買い物したものを忘れちゃった!」
「ドジねぇ、桜乃」
さくのって言うんだ。
どういう字を書くのかわからないけど、可愛い名前だなと思った。
「どうもすみません。ありがとうございます」
彼女が手を差し出したので、オレは袋を手渡した。
「けっこう重たいみたいですから気をつけて」
妊娠中らしい彼女を気遣って言ったつもりだったんだけど、彼女はちゃんと理解してくれたみたいで、ニッコリ笑って「ありがとうございます」ともう一度言った。
「大丈夫、桜乃?私が持とうか?」
「大丈夫だよ…………荷物持ちさんが来てくれたから」
「あらっ、リョーマさま!」
はあ!?『さま』ってなんだよ!?
オレは彼女の友人が言った言葉に突っ込みそうになった。
が、ついその場を離れそこなったオレは見てしまった。
その『リョーマさま』を。
「桜乃、『荷物持ち』ってなんだよ」
「え、聞こえたの!?」
「しっかり聞こえました」
そう言いながら近づいてくる『リョーマさま』はメチャクチャカッコいいヤツだったんだ。
顔もいいし、長身で、細身のジーンズと体にフィットしたジャケットを着こなすソイツはモデルみたいだった。
ていうか、まさかコイツが彼女の旦那!?
わ、若いっ。いや、彼女も若いけど、二人ともオレと年がかわらないんじゃないか?
「だって、ここに来てるってことは、ウチに帰って、一旦荷物を置いて私を探しに来たんでしょう?」
「なかなかいい推理をするようになったじゃん」
旦那らしき男はそう言って彼女、桜乃さんの荷物を持った。
「で、ソッチは誰?」
と言ってオレを見る。
「え、いや、オレは…」
「そこのスーパーの店員さんだよ。私の忘れ物を届けに来てくれたの」
「ふーん、そりゃどうも」
そう言って旦那らしき男は微かに笑った。ちくしょう。そういうのも様になってるよなぁ。
あれ?ちょっと待てよ。
旦那っていないんじゃなかったっけ?
一体、どういうことだ?
だけど、知り合いでもないオレがいつまでも一緒にいるわけにはいかない。
立ち去りがたい思いをしながら、オレは軽く会釈をしてその場を離れた。
さりげなくゆっくりと歩いていると、後ろから賑やかな声が聞こえてくる。
「リョーマさま、今度の遠征はどこなの?」
「九州。一週間ほど離れるから、その間カミさんのことよろしく」
「オッケー、まかせて!でも、本当に海外へは行ってないのね」
「とりあえず、赤ん坊が生まれるまでは心配だから、すぐに戻ってこれるところにいないとね」
……なんだ、そういうことか。
単に、仕事関係で家を空けるときが多いってだけなのか。
一瞬だけ、ちょっと残念だったな、なんて思った自分に笑いがこみあげてくる。
だけど、ちょっとだけひっかかった言葉がある。
遠征?海外?
旦那の職業は一体なんなんだろう?
それが判明するのは、数日後だった。
店内に貼り出された飲料水のポスターには、その旦那がテニスラケットを持って写っていた。
《完》