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山の木々が青々と茂る夏になろうとしていた。
マユリが育った南の村では昼間はもう随分と暑いことだろう。
しかし、妖の民が暮らすこの里は山の高いところにあることもあり、夏でも随分と涼しいのだという。
加えてこの里の住居は全て岩肌をくりぬいて作られているために夏は涼しく冬は暖かく、意外にも過ごしやすいのだとハヤセに聞いた。
マユリはまだ一年を通して暮らしていないので、これから知っていくことになるのだろう。
この数日間、マユリは外の景色を見ていなかった。というのも夜具から起き上がれなかったからである。
「マユリ、目が覚めた?」
声をかけられて首を動かすと、奥の戸口からハヤセが入ってくる。
「ええ」
マユリはそろそろと腕を動かすと力を入れて起き上がる。
体はまだ少しだるかったが眩暈はおさまっていた。
「あの、アカツキさんたちはもう?」
これまでマユリが暮らしていたクライの家と同じように高いところにある窓は真っ暗になっていた。
妖の民はすでに山へ妖魔を狩りに出ているころだ。
「ついさっきね。さっきまでクライもいたのよ」
「えっ」
本当は一番訊きたかった人のことを告げられて、マユリの頬は熱くなった。
「あなたが眠っているから起こさないようにって、でもずっとそばにいたのよ」
「そうですか」
ほんの少しだけがっかりした。
数日前、クライに血を吸われた日から彼とはろくに話をしていない。
マユリがほとんど寝込んでいたからなのだが、いつになったら顔を合わせることができるのだろう。
ハヤセは膝をついてマユリの額に手をあてた。水仕事でもしていたのだろうか、ひんやりとして心地いい。
「まだ少し熱があるみたいね。でもよかったわ。顔色はずいぶんとよくなっているし、これならクライも安心するでしょう」
体のだるさと眩暈がおきるのはクライに血を吸われたためだからと血を増やすための薬湯を毎日のように飲まされた。
聞けばこの家に暮らすアカツキやアキサメだけでなく、シコウやトウサイも見舞いに来たという。
――ありがとう。クライを助けてくれて
――やっぱりマユリはすげぇや
枕元に座った二人は各々の言葉で感謝の言葉を述べた。眩暈と熱のせいでマユリはぼんやりとしか憶えていなかったが。
「重湯を持ってきたの。食べられる?」
「はい」
倒れた直後は何も受け付けられなかったが、少しずつ食べ物も食べられるようになってきた。元気になってきている証拠だとハヤセは言った。
「もう少ししたら普通に食事ができそうね」
これが最後だと差し出された椀にはいつもの薬湯が入っていた。ハヤセが作ったものだ。
思わず顔をしかめてしまうほど苦いものなのだが、マユリは我慢して飲んでいた。
――ハヤセの薬湯はセリ婆直伝だ。よく効くからしっかり飲め
低い声。ぶっきらぼうにも聞こえるその声は耳に心地よく届いた。
痩身なのに、力強くマユリの背中を支えて薬湯を飲ませてくれたことを思い出しながらゆっくりと飲み干す。
ハヤセの薬湯は口に含むととても苦いが飲み終えてしばらくすると体がすっきりと楽になっていくような気がする。
「もう横になりなさい。夜明けまではまだ随分あるわ」
「ええ」
眩暈は治まっていたものの、体のだるさは自覚していたので大人しく横になる。
すると薬湯が効いてきたのかすぐに眠くなって目を閉じた。
次にマユリが目を開けたときはまだ暗かった。
灯りも消されていたので、ハヤセが消して出ていったのだろう。
高いところにある窓を見上げるとうっすらと白んでいるようにも見えるので、そろそろ夜明けだろうが、里の女性たちはまだ眠っているはずだ。
マユリは瞬きを繰り返してからゆっくりと起き上がった。
やはり眩暈は治まったらしく、今度も何事もなかった。
するとそのとき肩に何かが触れた。
「まだ起き上がらないほうがいい」
マユリは声にならない悲鳴をあげて身をすくませた。
「ク、クライ!?」
「ああ。……すまない。驚かせたか?」
聞き覚えのある低い声に、気が抜けたマユリは倒れこみそうになる。
クライは焦ったようにマユリの細い体を胸元に抱き寄せた。マユリにとっては暗闇だが、クライにはちゃんとマユリの姿が見えている。
「だって、気配が全然……」
「すまない。眠っていたから起こさないようにと思って」
クライはマユリの体を離すと灯りをつけた。
痩身の男の姿がようやく見れてマユリは息をつく。
「おかえりなさい」
「ああ」
今日も無事に帰ってきた。そう思い、自分でも意識せずに微笑んだマユリを見て、クライは軽く目を瞠ったが小さく頷いた。そのとき、いつもは鋭いその目つきが少しだけ柔らかく和んでマユリは別の意味で落ち着かなくなった。
そんなマユリに気づかず、クライは肩を抱き寄せて自分の体に寄りかからせる。
「大丈夫なのか?起き上がって」
「大丈夫よ。眩暈はおさまったみたいだし。体はちょっとだるいけど」
そう言うと額に大きな手が当てられた。そこから頬に降りてくる。
「まだ熱はあるな」
「ええ、でもこれはたぶん今までの疲れが出たものだと思うから、休めば大丈夫」
「そうか。それならそろそろ帰るか?」
「え?」
「帰るぞ、家に」
クライの家に。
ここ数日間は夜に誰もいなくなるクライの家よりも、ハヤセに看てもらったほうがいいとアカツキの家に世話になっていたのだ。
「アカツキも帰ってきているだろうから話してくる」
マユリを夜具に横たわらせたクライは立ち上がって奥の戸口から出て行った。
「本当に大丈夫なのね? 具合が悪くなったらすぐにクライに言って連れてきてもらうのよ」
「はい、わかりました。本当にお世話になりました」
マユリは床に手をついてハヤセに頭を下げた。
クライはマユリを迎え入れる準備のために一旦家に帰っている。
「薬湯はクライに持たせるから毎日飲むのよ?」
「はい」
なおも心配そうなハヤセを安心させるためにマユリは微笑んでしっかりと頷いた。
そこへ外へ続く戸口からクライが入ってくる。
そこから見える様子からもうすぐ日が昇るころだとわかった。
クライは有無を言わせずマユリを抱き上げた。
「クライ、大丈夫よ。歩けるわ」
「まだまともに歩けるかわからないだろう。オレが運んだほうが早い」
そういうと戸口へと向かう足取りは何も持っていないように軽やかだ。
「ハヤセ、世話になった」
クライはそう言って軽く頭を下げた。
「いいのよ、そんなこと。でも、マユリの具合が悪くなったらすぐに知らせてね」
「ああ」
「お世話になりました」
マユリがもう一度頭を下げるとクライは歩き出した。
「ねえ、クライ、降ろして、私歩けるから」
「駄目だ」
「すぐそこなのに」
マユリは唇を尖らせた。
体はだるいし、熱があることも自覚しているが、歩けないほどではない。
「元気になったら思う存分歩け」
クライはそう言って降ろしてくれそうもない。
マユリはそろそろと自分を抱き上げている男の横顔を見上げた。
妖の民は皆整った顔立ちをしている。女性のように綺麗な顔をしているのはシコウだが、クライにしても左頬の傷痕さえなければマユリの育った南の村の男たちと比べても綺麗な顔をしている。
「どうした?」
マユリの視線に気づいたクライが怪訝そうに見下ろす。最初は怖いと思った鋭い目つきも今はすっかり慣れてしまった。
なんでもないとマユリは首を振ってクライの首筋に顔をうずめた。
肌はいつもと同じくマユリと比べて青白かったが、伝わる温かさは人のものだった。
クライの家に帰るとすぐに夜具に押し込まれた。
「ちゃんと休んでいろ。体力が戻らないぞ」
そう言って立ち上がりかけたクライの裾を慌てて掴む。
「どこに行くの?」
その問いにクライは苦笑する。
「オレも少し休む。どこにも行かない」
妖の民は少し睡眠をとるだけでいいのだとは聞いている。
しかし、クライはどこで休むつもりなのだろうか。
「あ、あの、ここに、いる?」
「お前がそういうのならここにいる」
マユリの枕元に胡坐をかいて座ったのを見てマユリは起き上がった。
「駄目だ。ちゃんと寝ていろ」
「でも、クライも横になって休んだほうがいいわ」
それとも妖の民は座ったまま寝るとでもいうのだろうか。
マユリはそろそろと上掛けをめくった。
「こ、ここで一緒に休む?」
「……」
クライは一瞬押し黙ると言いにくそうに訊ねた。
「いいのか?」
お前はそれで。
一応マユリはクライの花嫁だ。一緒に休んだとて誰にも文句は言われない身だが、マユリは自分から誘うような行動に出てしまったことを今さらながらに気づいて慌てた。
「あ、えっと、私、クライにもちゃんと休んで欲しくて…その休めるときにはちゃんと休まないと……」
「ああ、わかっている」
クライは膝を進めるとマユリの横に入り、彼女を抱え込んだ。
「ク、クライ」
「オレはここにいる」
だから、安心して休め。
温かな腕に抱かれてマユリは息をついた。
クライの腕の中で居心地のいいように体勢を変えると逞しい胸に頬を寄せた。
「元気になったら、そのときは……」
低く心地良い声が耳に届き、マユリはクライにわかるように小さく頷いた。
髪を梳く手つきの優しさに心地良くなって目を閉じる。
もうずっと忘れていた。
抱きしめられる腕の温かさがこんなにも優しいものだったなんて。
いままで知らなかった。
このままずっと一緒にいたいと思えるほど、人を愛しく思う気持ちが自分にあったなんて。
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もう一つ書きたい話があるんだけど、書けるかな。頑張って書こう。